オーバードラフト

来年1月から、銀行の当座預金口座のオーバードラフト(当座貸越)が禁止になります。

 

この国の場合、移民によって建国され、今でも移民が入ってきているという成因からだろうが、銀行口座のオーバードラフトについて、とても寛大であった。

寛大というのもおかしな話だが、移民で給料が低い人がオーバードラフトになってもそりゃ仕方ないのだから、ある程度の限度額まで認めましょう、と。

もちろん、オーバードラフトを認めるといっても、銀行はその分の利息を取れるわけだから、銀行だって損はしない。

移民だけではなく、公務員の給料未払いなどの問題が頻繁にあるイスラエルでは、予期せぬオーバードラフトが生じてしまうのも無理はありません。

或いは、稀に、思わぬ出費でたまたまオーバードラフトになってしまったとかいうならば、仕方ないでしょう。

 

 

しかし、オーバードラフトが大丈夫ということで、『万年オーバードラフト』な人がいて、問題はこれだ。

 

どの国にも、お金を借りているという状態に無頓着な人がいます。

『ユダヤ人は金銭感覚が優れている』なんていうのは、勝手なイメージ。全てのユダヤ人がそうだとは言えません。

 

この国にも、オーバードラフトは手続き不要な借入金、と考える不健全な人が意外といるのです。

 

実際、オーバードラフトの内容を見ると、余計な支出が多い。

 

一時期、『オーム・ハダシーム(新民)』の造語で、『オーム・ハダシーム(新民)』という言葉が流行りました。

古いアパートなどに住み、酷暑でもエアコンもなく、市場やゴミ捨て場で拾えるモノを物色している。その反面、流行の服を着て、最新型の携帯電話を持ち、新車に乗り(移民特権で免税で購入できる)、外国ブランドのタバコを吸い…。

ところが、こうした不健全な貧民は、移民だけではないのです。

実際、私の知人にもいますが、オーバードラフトに対する感覚が麻痺していて、「大丈夫だ。たまたま今月は支出が多かったから。来月おさえればいいんだから」ってな感じなのです。

「利息を取られるのに」と言うと、「そんなもの、外食するのを1回だけ抑えればいい。大した金額じゃない」と。

(お金がないくせに、「高い・マズイ・態度が悪い」の3拍子揃ったイスラエルのレストランで外食する、というところから私の理解を超えている・・・)

 

 

コレに対して、法的にオーバードラフトに限度額を設置するなどして、無制限な当座貸越を禁止して、国民の金銭感覚を健全にしようというのが、大蔵省の狙い。

 

自分で長期のマネープランを立て、お金が足りないならば、不必要な携帯電話をキャンセルするなり、生命保険をキャンセルするなり、住宅ローンの月返済額を減らすなり、それでもどうしようもないなら家を売るなり・・・、と。

プチバブル状態の今、オーバードラフトのくせに株投資をする人なんていうのもいるらしい。不健全この上ありません。

 

こんなこと、国が法律として決めなくちゃ考えられなかったのか?と思いますが、それがお国柄というものでしょう。

恐らく、来年の1月、揉めるでしょうね。

 

ネタニヤフが蔵相になってから、いろいろと健全化が図られております。人はいろいろいうけれど、彼の決断力は大したものだと私は思う。新しいイ銀総裁は、ネタニヤフと同じアメリカ系だし、うまくやっているのでしょう。

 

 

それにしても、

 

お金は大事。ホントに。

 

未だに私、シェケルの感覚がわからず、円換算しないとピンと来ません。

経理部に入ったらちょっとは金銭感覚が馴れるかと思ったけれど、さらにダメ。

だって、「費用の100シェケルをどの勘定項目で落とすか? そんなの大した金額じゃないから、適当に処理しておけば? 部署コードと税コードさえ間違えてなければ、そんな小額費用はどうでもいいよ」ってな感じですから。

尤も、100シェケルくらいまでなら感覚がありますが、500シェケル(12500円)を越えると、時々、「500シェケル=500円」と頭の中で混乱をきたし、「大した額じゃないじゃん」なんて、とんでもないことを考えてしまうのです。

 

紹介 heshbonit
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